今日は、ちょっと冷え込みました。その時には?
2022年、令和4年、10月08日、土曜日、 旧暦9月13日
だんだん涼しくなってはいましたが、
今朝は本当に少しヒヤヒヤ~と寒かったです。
起きてすぐ暖房をつけましたもん。
カレンダーを見て、「今日は寒露か、道理で寒いはず。」と納得、納得。
二十四節気は、中国の中原(河南省)の気候をもとに、中国で作られた暦なのに、よく日本の季節に当てはまることも、あるもんだなぁと感心、感心。
なんせ今朝は秋になって、初めて暖房つけるほどピタッと当てはまるなんて‼
古の人々が毎日1日1日を、正月から数えて、ちょうど10月8日頃になると、「今日はひゃーとするばい! 間違いなかぁ! ひゃーとするけん、寒露と名付けんば!」と言ったかどうかは分りませんが、
毎年毎年同じように季節の移り変わりがするため、親から子へ伝えるし、その内、正確に数えてみたり、計算してみたり、星や太陽や月を見て観測したりしたのは間違いないと思う。
なんせ、自分たちの「うまんま」である農業や畜産にもかかわることなので、古の人々が少しずつ知識を蓄えて、季節をわかるための暦を作るのはガテンがいきます。
いや~今日は朝から「二十四節気てすごいな」「昔の二十四節気作った中国人すごい、と改めて思わされました。
だからでしょうか、今宵はyoutubeで「1972年日中国交正常化 田中角栄総理の訪中団共同声明調印までの記録映画」を見ました。
まずは、田中角栄元総理大臣は本当に素晴らしい方です。
そして、中国の方々が、恨みよりも日本を受け入れたことが嬉しかったです。
日本軍が中国の本土に入り込んだこと、また肉親を殺された方々もいらしたと思います。
恨んでいたでしょうに、日本と国交正常化を選んでくださったことを嬉しく思いました
また私だけがそう見えたのかもしれませんが、毛沢東主席が、田中首相が帰る時に、玄関までわざわざ御見送りして下さり、そしてまた田中首相と握手される時に、毛主席が少し涙ぐんでいらしたように見えました。
下記は、私の勝手な空想なのですが、
「日本が中国本土に入っていた時は、毛主席は若い兵士だったはずだ。
きっと、その頃は日本を敵と思っていたでしょうに。
まさかその日本(敵)と仲良くなるなんて、
その頃は想像もつかなかったはずです。
日本のトップが中国に絶交を止めて、国交正常化をしたくてやって来た。
毛主席も感無量だったのではないでしょうか。」
私の空想でしかありませんが、そう思いました。
単純な庶民の私が、言うのもなんですが、日本は世界中の人たちと仲良くなるのが一番と思います。
ただし、どの国にも仲良く、でも人のように幼馴染とかでは無いので、そこは国と国ですから、慎重に仲良くでしょうね。
今は日本はすべての国々と、お互いに平和で平等な関係を築いてますが、
付き合う国の濃度は、やはり近隣のアジアが多くなるのは当然です。
毛沢東主席が「ケンカしないと仲良くなれませんよ」と言ってくださっています。
これからは仲よくしようという日本に気を使って下さった言葉だし、また毛主席も本当に仲よくしようと思って下さってたと思います。
せっかく一番仲の悪い時代の先人たちが、仲良くする道を導いてくださったのですから、今の我々がうまくそれに乗っかって仲良くする道を、仲悪くなりそうな時こそ、我々は模索しないといけないのでしょうね。
難しいこと、難問あるでしょうが、政治家や役人の方々、大変でしょうが、頑張って下さいませ。
また我々一般人は日本に来る外国人に失礼の無いよう仲良くしたり、おもてなししたりするしかできませんが、外国との問題を担当している方々よろしくお願いします。
また話は変わりますが、私たち一般人も、ニュースや情報で、「また中国は」、「また韓国は」、「またアメリカは(近隣ではないが海を隔てれば隣てことで)」て思うことありますよね。
また彼らも「また日本は」て思っていることもあると思います。
そう日本人だけでなく、すべての国々の人々が情報やニュースで、自分の国以外の国には少なくとも1回は嫌悪感を持ったことはあると思います。
でも、いろいろと平和的な解決策を模索しながら、特に近隣諸国とは仲良くしないと、ロとウのようには、絶対なりたくありませんし、今の時代に、もうおかしいです。
もちろんロもウも言い分はあると思いますが、平和的に解決してもらいたかったと思ってます。
私は中国も台湾も韓国も米国も大好きですが、ニュースや情報で嫌悪感を感じることもあります。
そういう時は、嫌悪感を持ちそうになった国の好きなものを見たり、聞いたりして、読んだりして理性を取り戻します。
中国と韓国と米国のドラマや映画は面白いのが多いので、前記のみならず、自分の人間関係のストレス発散にもなります。
だいたい主人公はよく問題を解決しながら成長してますので、勉強にもなります(真似はできませんが、そこはドラマですからアハハ、真似したら大変です)。
みんな人間は一人ひとり違ってて、でも同じなんだなぁとわかりますもんね。
だらだらと書き綴りしましたが、平和ばんざ~い。で締めくくります。
では今日はこの辺で、
石の上にも3年、っで、腹が立っても3年。3
※お爺さん何人いるの?2-2
今のところに引っ越しして3年と2か月がたちました。
この間に私が見た階下のお爺さんは4人か5人です。
前ブログの2にも記入しましたが、最初のお爺さんとあいさつしたけど、顔をおぼろげにしか覚えていないです。
後で私が見て、はっきりお顔を覚えているお爺さん4人の中に、最初のお爺さんがいたのか、いなかったような気がする方が、私の中では強いのですが、、、、
それで、お爺さんが4人か5人と曖昧な人数なのです。
1番目のお爺さんは、引っ越し最中に出会っています。
2番目のお爺さん
を見たのは、アパートに行く通り道近くに、車が停まっておりました。
私は原付バイクなのですが、バイクが通りずらいと思われたのか、その車の運転席に乗っているお爺さんが私に礼をされたので、私もニコッと礼をしました。
このお爺さんも感じの良い方とわかりますよね。
そして私がバイクを停めて、アパートに行こうとすると、
私の部屋の階下の玄関からお婆さんが出てきて玄関の鍵をかけて、ドドドドドドドドドーッと走って行って、その車に乗りこみました。
走ってらしたけど、一応お婆さんに「こんにちわ」と言ったら、止まりもせず、ドドドーッと走り続けながら、律儀に「こんにちは」と言ってくださいました。
急いでいらしたんでしょうね。
でも、その後思ったのが、最初に見たお爺さんて、あんな顔だったかなぁと訝しく思いながらも気にしないでいました。
その頃は、階下の住人から「気持ち悪い」とか、もう言われていた時でしたが、2度目のお爺さんと、初めて見たお婆さんは感じ悪い人達には思えませんでした。
2度目のお爺さんの特徴:
(目がくぼんでいる、やせ型、優しそうな顔)
もしかしたら、1度目のお爺さんと同一人物かもしれません。
でも、一度目のお爺さんは目がくぼんでいなかったような気がするんですね。
3度目のお爺さん
を見たのは、私のアパートのベランダから覗いた時です。
何やら、ベランダ側の外で、老夫婦が外で何かしていらっしゃる音が聞こえてきたので、ベランダからそっと覗いたのです。
で、この時は驚きました。
今までのやせ型お爺さんではなく。
そしてお婆さんまで違うや~ん。
二人ともまん丸顔で、目もくるりんと丸く、お爺さんの背丈がお婆さんと同じくらい小さい。
太ってはいないのですが、少しだけ、2人とも、ずんぐりしていらっしゃってたです。
二人とも優しそうな感じがするのは前に見た老夫婦と同じですが、
部屋に戻って(誰が下に住んどっとやろうか?)と疑念がわき始めました。
3度目も違うお爺さんを見ると、「友達が遊びに来ているのか」と普通は思うはずです。
2度目は車の中でしたが、1度目も3度目も、何と言うか、どちらも住んでいる人という感じなんです。
友達や、親族が遊びに来ているなら、話し声とか聞こえていいはずなのに。
「あれれっ⁉」て言う感じです。
そして4度目のお爺さん
を、見たのは、やはりベランダから覗いた時です。
ベランダで花の手入れをしていたら、階下の人が外に出る音がしたので、上から見たら、
これまたビックリ!!
今度は背丈が高くノッポで痩せた、でも1番目と2番目に見たお爺さんとは顔が明らかに違いました。
また雰囲気も今まで見た方々と違いました。
申し訳ないけど、ちょい悪爺さん風とでも言うのか、
「若いころはバリバリでブイブイ?」と聞きたくなるようなお爺さんでした。
もし違っていたら申し訳ないっす!て、私が悪風に言ってどうする。
ただ、3番目と4番目は遊びに来た人たちかなと思ったりもしましたが、だけどその時とも、とても静かだったのを思い出します。
普通、友達が遊びに来たら、話に夢中になり、だんだん大声になると思うんだけど、、、? (特に私はそうです。)
そして、最後の5番目のお爺さんです。
前から書いていますが、兎に角、老夫婦と言うよりも、その子供か、孫から、ずっと嫌がらせの言葉が、よく聞こえていたのですが、前より収まったかなと思いきや
昨年のある日、また大きな声で女性が「気持ち悪い」が聞こえてきました。
で、とうとう我慢できなくなり、私に言っているのか、確認したくなりました。
階下の住人のドアのピンポンを押しました。
最初に出てきたのはお婆さんでした。
言いずらかったのですが、
「上に住んでいる者です。実はよく「気持ち悪い。はよ出ていけ」とよく聞こえるのですが、私に言ってらっしゃるのですか?」
と、思いっきりストレートに聞きました。
すると、あわてたように「いいや、あんたに言よらんとよ。夫婦喧嘩よ。」と言うんです。
「夫婦喧嘩には思えないですね。 誰かに言っているように聞こえます。」と言うと、
部屋からお爺さんも出てきたのですが、やはり今まで見たお爺さんとは、違うような、ただ2番目に見た車の中のお爺さんには一番似ていました。
でも、2番目の車の中のお爺さんと、この5番目の爺さんは似ているようで、少し違う感じはしています。
で、話を元に戻して、
それからお爺さんも、「いいや、夫婦喧嘩だよ」と言われますが、
(さっきまで「気持ち悪い、出ていけ」て夫婦喧嘩していたにしては、全然そんな雰囲気してないなぁと、すぐに誰にでもわかります。
「若い人の声がよくしますが、その人たちが言っているようです。」
と、言うと、「引きこもりの息子が一人います。」だそうです。
「真っ黒こげにしてやる。」「腹立つ」と言っていた、あの息子が引きこもりぃ??
反対に誰かを引きこもりにさせてしまうタイプの声、としか言いようがないのですが、、、、?
なんせ、声のタイプがおおどそう(意地悪そうな)で、そして質(たち)が悪すぎる言葉遣いの中年の男ですよ。
本当に息子さん???嘘だろう???と思いました。
話は変わりますが、
ここに引っ越ししてから、最初の2,3か月の間は階下から誰の声も聞こえて来なかったので、お爺さんの声も分からなかったです。
2,3か月後から、若い男女と同時に、かなりハスキーボイスの爺さんの声が、よく聞こえて来るようになりました。
しかし、ほとんど、その爺さんからは、嫌がらせの言葉は聞こえなかったです。
ただ家族と何か話しているのは聞こえるのですが、、、、
そして、そのハスキーボイスのお爺さんは5番目の爺さんとその時に、判明しました。
2番目の爺さんと同じく、奥目で、瘦せていました。
背丈はそんなに高くないけど、お婆さんや私よりは高そうでした。
体が弱そうで、意地悪ではない人と言う感じはしました。
お婆さんもやはり意地悪そうには見えなかったです。
2番目のお婆さんのようにドドドーッと走れたかはわかりませんが、
なんせ、何と言うか、嫌がらせの言葉は、老人ではない女性の声が圧倒的に多いです。
そして女性は3人か4人の違う声がします。
1人目はお婆さんのような声です。
でもこの方からはあまり悪口は聞こえて来ないです。
2人目は中年女性(シャキシャキしているが気が強そうな感じ)、
3人目は20代ぐらいの若い女性(よくいるちょっと生意気そうな若い子、孫か)、
4人目は、中年と老人の中間ぐらいのドスのきいた声の女性(最初の気持ち悪い出ていけの人か?、私この人の物まね上手です。)
それと、中年の男性が1人か2人です。
引きこもりの男性(息子)とは思えないです。
男性1人目は、ハスキーボイスお爺さんですね。
この人もあまり悪口は少なかったです。
男性2人目は、質(たち)の悪い中年の男の声です。
特にここ何か月も、この中年男性と若い女性がいつも階下に、待機しているようなんです。
私、思うんですけど、この若い男女数人が老夫婦に何を吹き込んだかは、わかりませんが、
あの2,3か月の間、すごく静かで、誰も階下の老人の部屋に、全然遊びに来ていなかったみたいです。
そしてもし、そのままその状態が続いていたら、きっと私は階下の老夫婦と完全に仲良くしていたと思ってます。
私が、このアパートの近所の方たちから、たまたまお話しして階下の老夫婦の事を聞き知ったことは、
①階下の老夫婦は、かなり長くこのアパートに住んでいること。
②階下のお爺さんは背丈が小さくて、目がくりんとしていて、かわいい、そしてなんと奥さん(お婆さん)よりも背が低い。
③息子が1人いて、持ち家を持っている。
④息子が一緒に住もうと言っているが、行かないと老夫婦は言ったとのこと。
⑤息子は県外に住んでいるとのこと(私より立派な息子さんです)。
以上、近所の方からたまたま聞いた夫婦の内容と、私が実際に見聞きした老夫婦は、
①2番目、3番目、5番目のお爺さんが階下の住人になります。
②2番目と5番目は夫婦とも似ていましたが、近所の方の言うイメージとは違うこと(お爺さんお婆さんより背が高かった)。
③3番目が一番近所の方の言うイメージにピッタリです。
④3番目のお爺さんと一緒にいたお婆さんも、2番目と5番目のお婆さんと違いました。
④ただし、ずっと階下から聞こえて来たハスキーボイスは、5番目のお爺さんになります。
お爺さん、何人いるんですか?
何番目のお爺さんが、本当の階下の住人なんですか?
と言いたい私です。
では、今日はこの辺で失礼します。
次回は、階下の引きこもり男と女の人たちは、〇〇〇〇〇と思ってます。です。
石の上にも3年、っで、腹が立っても3年。2
2:お爺さん何人いるの⁉
ここに引っ越しして一番最初に会った方が、階下のお爺さんでした。
お爺さん①:
ひょろっとしていて、少し体が弱そう。
温和な顔立ちで、少し微笑まれたのを、思い出します。
目はくぼんでいなかったような気がする。(もしかしたら、くぼんでいたか)
声はハスキーではなかったような・・・ (もしかしたらハスキーだったのか)
急いでいたので、顔、声をはっきりとは覚えていません。
その時は、お昼1時間前ぐらいでした。
挨拶した後は旧アパートへ荷物取りと、昼食するために帰りました。
(優しそうなお爺さんでよかった。体が弱そうだから、病院帰りかな)
と思い、夜はなるべく静かにしなきゃと思ったのを思い出します。
ちょっと話はかわりまして、
引っ越し前の旧アパートは1kのロフト付きで、カーテンも一か所でした。
今のアパートは家賃は3千円高くなりましたが、
日当たり良好、2DK、シャワー付き、水栓トイレでトイレ風呂別々、ましてや個々に窓あり。
洗濯機が部屋内に置ける、洗面所も個別にある。
そして部屋も台所も明るく、台所はDK、つまり広いということと、給湯付き。
2部屋で、1DKで、水回りが個々に分かれていて窓付きです。
今の家賃で条件良すぎる。
事故物件か確認したほどです。
なぜ安いのかは、たぶん、トイレが狭すぎる(掃除する時、めちゃ大変です。)
風呂が今時まだタイル張り(冬は寒い寒い)です。
交通が駅又はバス停まで行くのに10分近く歩く。
築40年ぐらい、でも内装はある程度、きれいでした。
でも、最初の掃除は大変な方でしたけど。
話はまたまた変わりますが、
前アパートで玄関に生卵を投げつけられた事件が10回ほどありました。
その内、警察に通報したのは4,5回だったと思います。
犯人は同アパートの方だったのですが、すこし現実と妄想がオーバーラップされるとのこと。
私も親しくさせて頂いてたのですが、人懐っこい良い人だったのに、本当に残念でしたし、ショックでした。
ただ、この人が犯人なのではと、最後の生卵事件の時は思っていましたが、
その方は、体が不自由なので、仕事はしていらっしゃいませんでした。
ただそれにしても、やたらとボランティアがその方の部屋に来るな。とは思っていました。
料理作りもボランティアが来ていました。(つまり、その方には一切料理を作らせない。)
以前にも体が不自由で、一人暮らしで、仕事していない3人の方々と、たまたま同アパートになった経験があります。
3人の方々とは、それぞれ違うアパートだったのですが、
ボランティアらしき人が、その方々を訪ねるのを、一度も見たことはありません。
たぶん、私の想像ですが、前アパートのその方は、ボランティアがいないと危ないのかなぁと思いました。
それで、まだローンもあったのですが、引っ越しを決意しました。
話を今のアパートに戻します。
引っ越し期間中に私が出会ったもう一人の人は、斜め下の部屋の女性でした。
まっ金髪で髪をくるくる巻いていて、キャリーぱみゅぱみゅか、と突っ込みたくなるような人でした。
正直(うわぁー、こわ系かなぁ)と思いましたが、あいさつすると、とても感じの良い人でした。
斜め下に住んでいるとのことでした。
それからは、何か月も、誰とも会わなかったです。
早くに挨拶していれば、誰が住んでいるのかわかるのに、しなかったのが、だめでしたね。
と、反省しているのですが、
昔の風習が、やぐらしい(共通語がわからん:お手数かける?か、自分には言わないしなぁ)けど、
◎ちょっとした手土産をもって、住む近所や同アパートの上下左右に持って行って挨拶をする。
しとけば良かったです。良い風習だった。昔の人は偉いです。
ちょっと長すぎました。また後で書きます。
次回はお爺さん何人いるの2-2です。 ほんとか?また脱線したことを書きそうな・・・・・あははは
石の上にも3年、 っで、 腹が立っても3年。
久々のブログです。
この頃、ブログをする気になれずにいました。
その理由は私の住んでいるアパートの下の階の住人からのいじめです。
このブログで引っ越しして、静かなところに来て嬉しいと書いたことがありますが、あれからトンデモナイいじめにあい続けているからです。
今でもです。
私がこのアパートに引っ越ししたのは、今から3年と2,3か月前でした。
私の引っ越し方法は、持っていける物は自分で運び、大きな物(冷蔵庫など)は一番最後に業者に頼む方式でした。
まだ小さな物を運んでいる最中に、お爺さんに出くわしました。
「今度引っ越ししました〇〇です。」と、明るくあいさつしたのを今でも思い出します。
「あ~、そう。 〇〇です。 ここに(私の真下の階を指して)住んでます。」
(やさしそうなお爺さんだ。良かった。)と記憶しています。
スリッパを買うときは(フローリングだし、音のうるさくない下がフェルト製のスリッパにしよう)と思いながら100円ショップで買ったのも思い出します。
なぜなら、その当時、コンビニで夜の12時まで毎日務めており、(帰る時間には寝てらっしゃるだろうなぁ)と思ったからです。
このように、私はある程度、人に気を遣うタイプです。
私が20代前半に東京にいた時、「人に気遣いすぎだよ」と、職場の何人か(性格の良い人たちだけでしたけど)によく言われてました。
今でも東京の人たちの方が、優しかった人が多かったような気がしてなりません。
長く長崎に住んでいるから、仕方無いのかもしれませんが、、、、
どこにでも、意地悪い人、優しい人、いますもんね。
長く住めば、ほとんどはまともな人々との出会いですが、信じられない意地悪い人に出くわすもんですね。
本当はこのブログは人の悪口を書くために作ったのではないのです。
話がそれてしまいました。
引っ越しして、一番うれしかったのは、夜にはとても静かだったことです。
昼間は、その当時も今も、アパートの近くで区画整理事業工事をしているため、平日は8時から5時までうるさいです。
でも、土日の昼間と5時以降はとても静かだったんです。
① 2,3か月後の階下の住人の突然の変貌
それは突然やってきました。
実は引っ越しして2,3か月後、たまたま私の勤め先の男性が、私に対して思うことがあるらしく、なんと言えばいいのか、他の人にはわからない、変な意地悪をするのです。
それでイライラしていました。
お店でその男性(先輩)とけんかするわけにもいかず、自宅(アパート)で、仕事休みの日に、思いっきりその男性の悪口を大きな声で言ってしまったんです。
それが、良くなかったのでしょう。
階下の人からすると、自分達が言われたと思ったのか、その日の夜に老人と男性(30歳~50歳代)と女性(20歳~50歳代)の大きな話し声が聞こえてきたんです。
聞こえ始めた時は(息子か娘夫婦が来ているな)と思っていただけでした。
若い方の男が「腹立つ、腹立つ」と言っていたのは、今でもよく覚えています。
で、ごちゃごちゃ話しているのが、結構聞こえてたのですが、かなり人の悪口を言っていたのを覚えています。
そしてびっくりする言葉が聞こえてきました。
「真っ黒こげにしてやる。」
さすがにびっくりしましたが、家族で誰かの悪口を言っているのだろうと思っていましたが、
そのうち、私の事を言っているような感じ!!がしてはいましたが、
おかしいな。でも私の事を知っているわけないしな?でも、自分の悪口を言われているみたい。?!
予感は的中しました。
それと、一番びっくりするのは、その日から必ず若い男女の声が階下からするようになりました。
そう、老夫婦だけが、言っているのならば、ともかく。
老夫婦の声はほとんど聞こえなくて、(20歳~50歳ぐらい)の若い男女の声がほぼ聞こえてきます。
私はその当時、昼からの仕事が多く、夜は遅いので、朝8時か9時に起きると、エアベッドを使っていたので、起きる時に音がキュキュとなるのですが、すると、
「気持ち悪い、はよ出ていけ」とほぼ毎朝、ほぼ毎朝、ほぼ毎朝聞こえてきました。
私が起きて、ふすまを開けると、「気持ち悪い」て女性の太い声が階下から聞こえてきたもんです。
どう聞いても、隣とか斜め下の階からは聞こえてきません。
階下だけです。
そして「気持ち悪い出ていけ」は女性の方がほぼ100%言ってました。
これはおばあさんも一緒に言っていたようです。
そう、女性が2人いるんです。
もちろん、これだけではないです。が、
もう夜も遅いので、今日はこれまでにします。
次回は②爺さん、何人いるの?です。
私が、20代のころは、私生活(同アパートの住人や近所の人々など)で出会う人々すべて優しいというか、まともな長崎人がたくさんいたような気がするのですが、、、、
私を嫌韓にはさせなかったWilliam & Bentley兄弟にありがとう(고마워)
久々のブログです。
もう1年ぐらい書いてないです。
実は久々に感謝の気持ちを表したくて、今日は書こうと思いました。
それは韓国のバラエティー番組の「スーパーマンが帰ってきた」に出演している子供達 William & Bentley Hamington brothersです。
「スーパーマンが帰ってきた」は韓国のKBSが現在放送している番組で、
父親が俳優、歌手、スポーツ選手など有名人つまり「スーパーマン」です。
そして週に2日間、スーパーマンの奥方には外出してもらい、
その2日間のお父さんスーパーマンとその子供たちのふれあいを見せる番組です。
かつては日本の格闘家の秋山成勲(あきやま・よしひろ 韓国名:秋・成勲 チュ・ソンフン)さんと
日本人モデルのSHIHOさんと、二人の間の子供のサランちゃんが出演していて大人気だったそうです。
その頃は知らなかったのですが、youtubeでサランちゃんを見ました。
とてもサランちゃんが利発で可愛らしく、また日本での生活を見せるので、興味深かったです。
サランちゃんは今はハワイに住んでいて、日本語、韓国語、英語が話せるようです。
3か国語話せるなんて、う、うらやましい!!
話は変わりまして、私がこの番組を知ったのは、もう4年ぐらい前です。
Williamちゃんがまだ1歳の時でした。
この頃はまだウイリアムちゃんは1歳で話せなかったせいか、
どちらかというと、2歳で、父親と話しながらのコミュニケーションができるコ・スンジェちゃん(父親は初期のKpopsのSECHSKIESの元メンバーのコ・ジヨンさん)やイ・シアンちゃん(父親は元サッカー選手のイ・ドングクさん)が面白かったです。
が、
たまたまウィリアムちゃんのちっこい時がyoutubeに出ているな、見てみよう。
そしたら0歳の時のウイリアムちゃんの天使の姿にもうメロメロになりました。
結婚して、子供を産むべきだったと後悔したほどです。
もう遅しですが、( ̄∇ ̄;)アッハッハッハ
ウィリアムちゃんと弟のベントリーちゃんのパパは、韓国の外タレのサム・ハミントンさんです。
50代の人は覚えているでしょうか?
日本でいうケント・デリカットさんみたいな人です。
今では厚切りジェイソンかなぁ⁉
これはサムさんと義理の母、奥さんのユミさんのママとのバラエティー番組に出演しているのをyoutubeで見つけました。
韓国語が解れば、きっと面白いんでしょうが、、、、
実は彼も韓国に住んでいるので、少し反日発言はあります。
(ただし彼は日本や日本人を嫌いではないですよ。もちろん韓国のほうが好きでしょうが。)
だけど、それでもサムさんとウィリアムちゃんとベンちゃんの親子の情や、子供たちの可愛らしさを見ていると、
みんな同じだなぁ、と。
嫌な時があっても、youtubeで小さな子供たちの可愛らしさを見ていると笑顔になります。
「スーパーマンが帰ってきた」だけでなく、すべての赤ちゃんて、どうしてこうも人々を笑顔にしてくれるのでしょうか?
不思議です。
話はまたまた変わりますが、
ここ2年ぐらいは日本と韓国は仲が悪いですよね。
- 価格: 1760 円
- 楽天で詳細を見る
わたしも日本人ですから、時々反日のニュースなど見ると、かつて日本は悪かったし、それに対しては申し訳ないと思ってます。
しかし戦後、日本は反省し、韓国にかなりの援助をしているのに....と憤りを覚えます。
他にもニュースなどを見て嫌韓に成りそうに、というか、嫌韓に成りかけたんです。
(上の動画はネトウヨ番組ではなく、反日疲れを伝えているニュースです。)
そしてネトウヨを見て、嫌韓に成りかけた後に、またすぐにyoutubeでウィリアムちゃん達を見ては理性を取り戻し、
「ダメダメ、日本はどこの国とも仲良くせなゃあかん、嫌韓になってはあかん」
となるのです。
やはり日本はどこの国とも仲良くしないといけないのです。
一般の私たちもそうです。
なぜなら
日本は理性的なりっぱな国です。!!
そして人が国をつくるのですから、
一般の私たち庶民も、なるべく理性的になるよう努力や修業をする。
そういう国を作らないといけない。
なんちゃって、!(^^)!
我慢できず大喧嘩したことの幾つかある私では説得力ないのですが。テヘへ!
でも、本当に今のグローバル時代には、いろんな国同士、仲良くするのが当たり前ですし、そう思ってます。
ただし、いくら仲良くと言っても、世界中の中で、韓国にだけに甘くすることはできません。
韓国をホワイト国に出来ないときは、出来ないと、ちゃんとした理由があるのなら、韓国の人たちが怒っても、するべきです。
これでだいぶ韓国の人たちが怒って、日本製品の不買運動されたようですが、なぜ日本がそうしたのか、分かって下さればいいのですが、、、、
時が解決するのか、理解して頂けるのか、分かりませんが、よく人付き合いにある、いつの間にやらシレーとまた仲良くなっちょっよ~‼
は、ダメですかね。(^_-)-☆
私たち日本人は昔と違って、今は韓国が好きな人がとても多いです。
そして私たち年配者はやはりドラマです。
私も韓国のドラマは面白くてよく見させていただいてます。
それと、今まで韓国から観光や留学で日本に来た人たちに会いましたが、皆さんいい人たちばかりだったという印象しか私にはないです。
もちろん、もし韓国に長く住むことがあれば、嫌な人にも合うでしょう。
それは日本にも、嫌な人も良い人もいるのですから、どこの国にも良い人もいれば嫌な人もいるのはあたりまえです。
まぁ、ほとんどの日本人は、日本は外国と仲良くせにゃならんと、分かっている人たちが圧倒的に多いと思います。
話が長くなりました。
今日なぜウィリアムちゃんとベントリーちゃんに感謝なのかですよね。
今日サムさんが「スーパーマンが帰ってきた」にハミントンファミリーが降板するとSNSで報告したそうです。
とてもさみしいです。
どうかウィリアムちゃんとベントリーちゃんとサムさんと奥さんのユミさんと
サムさんのお母さん(おばあちゃん)とユミさんの父母さん(おばあちゃんとおじいちゃん)の皆様が末永く健康で生き生きとした生活であられるよう願うばかりです。
これから学校生活があるウィリアムちゃんとベントリーちゃん、今まで通りのやさしい子のままで、それでいて負けない強い子に成ってね。
と願うばかりです。
ほんと彼らには癒されたし、笑顔にさせてくれたし、理性的にさせてくれたし、
子供の力ってすごいですね。
だから母は強しも、子供がいるからでしょうね。
では今日はこの辺で、彼らが大人に成るときは、日本と韓国がすごく仲良くあることも願って、今日はこれで終わります。
おやすみなさい。
ユーパ君ありがとうございました。謝謝。
2020年・令和2年・11月12日・木曜日
【旧暦・長月(九月) 二十七日】・【立冬:りっとう】【地始凍:ちはじめてこおる】
長崎も昨夜から急に冬のような寒さになりました。
今日から七十二候では地初凍(地初めて凍る)ですが、こちら九州では大地が凍ることはありませんが、やはり急に寒くなります。
上の写真みたいに私の実家の前の道路は、私が小学2年生まで土の道でした。
アスファルトになってからでも、道の両端などに部分的に土が出てまして、
11月の朝ともなると、土の上の霜をザクッザクっと踏んで通学してました。
足がとても冷たかった覚えがあります。
本来は11月中旬は九州でも土が凍っていたのです。
そして、そんな急に冬のように寒くなった昨日夕方に、長年(多分8年以上)使ってた電気ストーブがプツリと壊れてしまったのです。
なんか小さく「プツン」と電気ストーブから音がしたので見たらストーブの電気が消えてプッツンしていました。
何をしてもウンともスンとも言いません。
完全に電気ストーブ機器の寿命だったみたいです。
一昨日までエアコンの暖房は使わなくても、小さな電気ストーブで大丈夫だったものですから、エアコン着ければいいやとさっそく着けましたました。
が、エアコンだけじゃ寒い寒い「あーさむさぁ」と言いながら過ごしました。
昨日は仕事休みだったので、午後から食事と弁当の作り置きをしたり、パン作り、ヨーグルト作り、麦茶作りとバタバタと体を動かしていたので、まだよかったのですが、、、、
それでも大好きなyoutubeを集中して見られないくらいの寒さでした。
それでは話を今回のお題に変えます。
今まで使っていた電気ストーブの名称はEUPA(ユーパ)と言う、なんかeuropaヨーロッパみたいですが、
台湾の燦坤(サンクン)実業の燦坤日本電器株式会社のブランドでした。
たぶん約1900円代で購入したような記憶があります。
電化製品て滅多に買わないから大体の値段を覚えていませんか?
1000円代なのに、8年以上もよく頑張ってくれました。
(今まで、暖かくしてくれてありがとう。中国生まれだから謝謝かな?!)
こんなコスパが良くて非常に助かる物はとても重宝します。
重要な宝と書いて重宝;
もちろん貴重な宝の意味もありますが、いつも使いやすく便利な物を言うときも重宝すると言いますし、辞書にもそう記載されています。
ほんと、今回のユーパ君は私にとって、とてもとても重宝な物でした。
普通に燃えないゴミ捨ての日に捨てますが、今回は「こんまり」さんみたいに「ありがとう。」と物に対して感謝して捨てなくちゃですね。
上の写真は、たぶんユーパではなく、電気ストーブの無料で使用できる画像です。
その後わかったのはウィキペディアの電気ストーブの画像でした。
またまた話は変わって、エアコンは暖房のスイッチを入れると、どうして最初は冷たい風が吹いてくるんのしょうか?
あれどうにかならないんでしょうか?
エアコンが、暖かくするから今は寒いけど、それまで我慢してくれと言わんばかりに、最初に冷たい風をドンドン送ります。
冷たい風をドンドン送られている私は、暖房をつけたはずなのになぁと、
もしかして間違って冷房にしてない~とリモコンをのぞくのですが、
まちがいなく暖房のスイッチを押してるのです。
やがてだいぶたってから暖かい風がくるのですが、それでも寒い寒い。
毎年そうなので、暖房の着け初めはリモコンを間違いなく操作したか確認しますね。
電気ストーブで自分の周りを暖めておかないと、エアコンの暖房だけでは暖ったまりません。
さて今回もメイドインチャイナですが、輸入販売元は日本の会社で
株式会社フィフティで、ブランド名は
forest life 森の生活
聞いただけだと、清々しくて、なんか逆に寒いような、、、
いえいえ、なるべく自然な物をと思っている私にぴったりかも、
ましてや、輸入販売元がフィフティと私の歳年代まで言い当てているではありませんか(*^▽^*)
これは良い方に考えるしかない!?
てなことで、「これからよろしくね。」と(こんまり)さんは使用前にも物に感謝しましょうと言われているかわかりませんが、
また長くもってくれるためにも、物に感謝したほうが良いのかもしれませんね。
子供の頃の私は物を大切にしないと母からよく怒られていました。
不要と思うとすぐ捨てていたためです。
今でも100円ショップで買って為にならないとわかると捨てるときもありますが、、、エヘヘ(^^ゞ
ではさっそく新しい電気ストーブを着けました。
小さいですがとても暖かく、今夜はエアコンの暖房は不要です。
やはり感謝感謝、謝謝ですね。
ではみなさん風邪引かないように暖かくして過ごしてくださいね。
この映画、見ました。「マルタのやさしい刺繍」
2020年・令和2年・11月2日・月曜日
【旧暦・長月(九月) 十七日】・【霜降:そうこう】【楓蔦黄:かえでつたきばむ】
今朝から小雨でしたが、そんなに寒くはなかったですね。
今日からは楓蔦黄(かえでつたきばむ)ですが、秋冬が似合う国々と言えば?
そうヨーロッパですよね。
もちろん、欧州は夏もすばらしいのでしょうが、イメージとしてやはり秋冬がぐっとイメージが強いです。
やっぱり夏は南国がイメージ強いですし。ハイ!
さて明日は文化の日でもありますので、読書の秋のような映画を見ました。
お年を召した女性の方々の物語なのですが、
年取る事は、だんだん落葉することだけど、ただただ落葉するだけではない、
それまでやりたい事を見つけ、やりたい事を実行して、生き生きと生活する。
この主人公マルタは若いころ刺繍が上手く、昔ランジェリーブティックを出すのが夢だったのです。
でも結婚してからはずっとスイスの山の田舎で暮らしていました。
(それも美しい所なのですばらしいなぁ)と思いますけどね(^_^)。
もちろんマルタも幸せだったのでしょうが、、、、、
上の写真は映画の場所と関係ないですが、スイスて素晴らしい山々と小さな可愛い村々や教会、美しい自然というイメージですよね。
さて、これ以上書くとネタバレ過ぎるし、ここまで教えたので、だいたいどんなドラマかは解ると思います。
でも見終わった後、顔が笑顔になります。
これからドンドンお年を召していく我々50代以上の方々に是非とも見ていただきたい映画です。
(いつまでも、こげんふうに生き生きしときたいなぁ)と思わせます。
あと話は変わりますが、この映画を見て思うのは、ヨーロッパの田舎の方が日本の田舎より、かなりの保守的で昔ながらの習慣を意固地に守るみたいです。
私が高校生の時に読んだ女性雑誌ノンノ(なつかしい!)で、スペインの若い既婚女性を紹介していたのですが、
「既婚者なので、年下の男性とは顔を合わせて話してもいいが、年上の男性とは顔を見ながら話をしてはいけない」
(え~ヨーロッパなのに嘘でしょう!)とびっくりした記憶がよみがえりました。
田舎者だし、まだ16歳ぐらいの私は何でもかんでも(例えば男女間の事とか)欧米の人々は日本人より進んでいるなぁと思っていたためです。
だって映画、ドラマ、本、雑誌などで欧米の人々の、道路でのキスや、女性の社会進出運動や、結婚しないカップルや、フリー○○○など欧米での事を見聞して、(進んでいるなぁ、社会進出のみ真似できるなぁ(*^▽^*))と思ったものです。
まあ、それからも色々見たり、読んだりして欧米でも日本以上に保守的な人々がいるんだなぁとだんだん解ってはきましたけどね。
まだまだ世界中の映画やドラマを見たいですね。
ここ15年ぐらいは韓流や漢流ドラマを見る機会が多いのですが、もちろん日本のも見ますよ。
でも昔はほとんど欧米(特にアメリカ、イギリス、フランス)をよく見ました。
が、今回のスイス映画は初めです。
とにかく好かったです。
上のは予告です。
どうぞ秋の夜長に映画の「マルタのやさしい刺繍」を見てください。